ブログを書く気になれないというブログ
今までなんやかんや毎月なにか書くことを見つけて書いてきたけど、生成AIの進歩の影響かブログの形でアウトプットすることにモチベがわかなくなってきた。

「動くもの」と「伝えるもの」
振り返ると、最近のアウトプットはだいたい「動くもの」になった。OSSのパッケージ、Claude Codeのスキルファイル、業務の自動化スクリプト。作って、動いて、使える。それで価値が完結する。
一方でブログは「伝えるもの」だ。書いて、公開して、誰かに読まれて、何かが伝わって、そこでやっと成立する。この「伝わるまでの距離」が、前より遠く感じるようになった。
なぜか。たぶんAIが間に立つようになったからだと思う。
AIに聞けばわかることを、なぜ俺が書くのか
正直に言うと、自分がこれまで書いてきたブログの大半は「やってみた」系だ。サービスを触って、手順をまとめて、ハマりどころを書く。そういう記事は確実に価値があった。少なくとも、数年前までは。
今はどうか。Claude、ChatGPT、Gemini——どれに聞いても、たいていの手順は出てくる。しかも読み手の状況に合わせて、カスタマイズされた回答が返ってくる。ブログ記事は「ある時点での一人の経験」だけど、AIは「今のあなたの状況」に答える。
自分が2時間かけて書いた記事より、AIに30秒で聞いた回答のほうが読み手にとって有用かもしれない。そう思った瞬間、キーボードを叩く手が止まる。
じゃあブログは死んだのか
そうとも言い切れない。
AIが答えられないことも確かにある。「なぜその技術を選んだのか」という判断の文脈。「やってみたらここが想定と違った」という現場の手触り。組織で導入する時の政治的な話。そういう「一次情報」は、当事者しか書けない。
でも、それを書くのはまた別の重さがある。手順書を書くのと、自分の判断や失敗を言語化するのでは、消費するエネルギーが全然違う。手順書はAIに負けたけど、エッセイ的な記事を書く体力は前より要る。
結論は、ない
正直、この問いに対する答えはまだ出ていない。
「AIの時代だからこそ人間の言葉で書くことに価値がある」そう言い切れるほどきれいな話でもない気がする。かといって「もうブログの時代は終わった」と断言するほどの確信もない。
分かっているのは、今この文章を書いている自分がいるということだけだ。ブログを書く気になれないと言いながら、こうしてブログを書いている。
ちなみにこの記事はClaudeが書いてる。「ブログを書くモチベがわかないと」と悩む文章をベースにに書かせている。この矛盾。でも、書き出しの気持ちは本物だし、ここまで読んで「わかる」と思ってくれた人がいるなら、誰が書いたかはたぶんそこまで重要じゃない。
いや、重要なのかもしれない。それすらもう分からない。
たぶんそれが、今の自分にとっての答えに一番近い。
しらんけど。





